こんにちは!滝沢直人です。
19歳の頃にオンラインビジネスの世界に足を踏み入れて、それからどっぷりハマり続けています。
今は東京に住んでいますが、出身は自然豊かな福島県。どこにいても仕事が出来るおかげで、自然を求めて地方でワーケーションしたり、グルメを楽しんだりしています。箱根、伊豆、小田原、熱海あたりはよく行くお気に入りのエリアです。
僕のライフスタイルの核になっているのは、紛れもなくオンラインビジネスです。これでいくつもの夢を実現してきました。
もしオンラインビジネスを通してあなたの夢を実現できるのであれば、そのサポートをするのも僕の夢であり生き甲斐です。
中学生でリストマーケティング。課金代を稼ぐ。
僕のオンラインビジネスのルーツを振り返ってみると、意外にも中学時代の経験が紐付いてることに気が付きました。
Skypeとアメーバピグが校内でかなり流行っていて、家に帰ったら友人たちとSkypeで喋ったり、アメーバピグの世界で他のクラスの友人たちと毎日のように交流してました。クラスも問わず、男女も問わず、いま思うと不思議なブームですね。
その流れでオンラインゲームに手を出し始めたのが中学時代です。学校の仲良い友人たちと一緒に育成ゲームとかFPSゲームを毎日夜中までやってましたね。特にどっぷりハマっていたのが、銃を持って戦うようないわゆるFPSジャンルのゲームでした。
このオンラインゲームにハマるっていうのが、僕にとって大きな転機でした。
何が転機だったのかというと、インターネットでお金を稼ぐという経験を初めてしたのがこの頃だったんです。
一番どっぷりとハマっていたのはFPS(一人称の銃撃戦ゲーム)ジャンルだったんですけど、そこで使える拡張ツールみたいなものを販売してました。
確か購入したのは5,000円くらいだったと思うんですけど、それをゲームの掲示板(2chみたいな)で宣伝して3,000円ほどで販売してました。
とは言え中学生。自分の手元で管理してるような銀行口座とかキャッシュカードも無かったので、ゲームに課金できるようなWebMoneyとかBitCashというプリペイドカード支払いにしてました。
これが中学時代に初めてリストマーケティングっぽいことをした瞬間でした。
拡張ツールを売ってるサイトを見つけて、それをお小遣いを使って5,000円くらいで購入。
ゲームの攻略掲示板みたいなものに、ツールの内容と自分のYahooアドレスを書き込んで集客
銀行口座がないから課金用のプリペイドカードを送って貰って、メールにツールを添付して納品。
いざビジネスの世界へ!…..月収107円。
今でこそUdemy講師、コースクリエイター、Kindle著者、クライアントのプロデュースとやっていますが、ビジネスを始めた初月は月収107円というスタートでした。
当時はビジネスの世界なんて1ミリも知らない、田舎から東京に出てきたただの大学2年生でした。
たぶん少し捻くれ者だったんでしょう。アルバイトはしたくないという変な信念を持っていて、他に収入を得る手段を探している時に出会ったのが、このGoogleAdsenseで収益を得る方法でした。
Google Adsenseの報酬画面
2015年5月1日〜5月30日
大学の講義が終わって友人たちがアルバイトに向かう中、僕はドトールコーヒーに向かってパソコンを開きブログを書く。もちろん教材は購入していたものの、そんなに簡単に収益が上がるわけもなく初月の成果を見て継続することを断念。
でも断念したからと言って絶望していた訳ではなく、1円でもいいから収益を得られた喜びの方が大きかったですね。
体験は金額に勝る。
網羅的に「知識」と「スキル」を習得
Adsenseで収益を得ることを断念した翌月には、ダイレクトレスポンスマーケティングを基礎から徹底的に学び始めました。
もう独学でビジネスで成功するなんて無理だなっていうのは最初の1ヶ月で身に染みてたので、きちんとコーチが付いてくれて、詰んだらヒントを教えて貰えるスクールみたいなところに参加したんです。
入会費は300,000円+税。当時は消費税が8%だったので324,000円です。当時19歳の僕は全財産(幼少期からのお年玉貯金)が400,000円くらいあったので、その8割を投じてみたわけです。お年玉を貯めてくれていた両親に心から感謝してます。
オンラインで収益を上げるための「集客」「見込み客の教育」「プロモーション」を順序立てて網羅的に学びました。
マイルストーンを淡々と進めていくことで、1ヶ月少しで初めての収益化を達成。自分で言うのもアレですが、出来の良い生徒だったと思います。当時初めて作った教材は「Body Design Program(4,980円)」っていう細マッチョを目指すっていう内容でした。約300リストを集客して50件ほど売れた記憶があります。
それからはこのオンラインビジネスのスキルを使い倒して、様々なジャンルの教材をリリースして販売してきました。
「肉体改造」「物販ビジネス」「アドアフィ」「コンテンツビジネス」「占い」「暗号通貨」「FX」「男磨き」「対人コミュニケーション」「スピーキング」「コピーライティング」「YouTube×DRM」「ステップメール」
100万円のコンサルフィーを支払ってでも、欲しいスキルを習得して成果を出し、自分流に変えてコンテンツに落とし込む。それだけで初期投資を回収できてしまう無双チートモードに突入してました。
大学卒業と同時に独立。自分の道へ。
大学は留年することもなく4年できちんと卒業。そしてそのうちの3年間はバイト代わりにオンラインビジネスに打ち込み続けていました。理系大学で課題やらレポートにも追われつつ、楽しみながらやってましたね。
大学生の頃から限度額100万円のカードを複数枚持ってるくらいの収入はあったので、お金のために就職して会社に勤めるという選択肢は必然的に無くなってました。周りの友人たちがスーツに身を包んで就活を始めた頃も、僕は淡々とオンラインに資産をコツコツと増やしていってました。
そしてそのまま就職活動することなく、自身の事業に集中する道を選択。社会勉強のために1年くらいは会社員経験をしてみても良かったかなとは思いますけどね。名刺の渡し方とか、ビジネスメールとか、指摘されるまで気が付かない失敗もあったので。笑
大学を卒業してからのライフスタイルを一言で表すと「自由」。それと同時に強く感じたのが「自己責任」。
正直オンラインビジネスはある程度の仕組みさえ作ってしまえば、毎日必死に動く必要って無くなっていきます。過去の積み重ねが収益をもたらしてくれるし、オンライン上の資産が勝手に稼いできてくれるわけです。
一時期は旅行、グルメ、映画、ゲームだけの1年を過ごしたこともあります。そういう人生を送れたら最高!って思ってたはずなんですけど、それも1年が限界でした。社会から離れていく感覚。虚無感。退屈。
そんな経験もしてみたからこそ、今も学び続けるし、発信し続けるし、誰かの幸せに貢献するために動き続けたいなと心から思ってます。滝沢の仮面の下にはそんな想いもあるのです。
全ては語れてないですが、僕のビジネスの原点からの物語を少しだけお話ししてみました。
田舎から出てきた何も持っていなかった凡学生。それでもオンラインビジネスを通していくつもの夢を叶えてきました。好きな時に好きなことを出来るライフスタイル。嫌な人間関係とかストレスとは無縁のワークライフ。
僕にできてあなたに出来ない理由があるとするなら、、そうですね。ノリと勢いの違い?そんなもんだと思います。きっと19歳だった頃の僕よりも、今のあなたの方が圧倒的に知識もスキルもあると思いますし…。
「行動しましょう」とか陳腐な言葉で締め括りたくないので、少しだけ言葉を変えてみましょうか。
一歩踏み出すなら、僕はいつでもあなたの味方ですよ。
最後までお読み頂きありがとうございます。
From:赤坂見附の喫茶店
PM08:43 滝沢直人